太亀さんの飯碗と米
今年四月、なんだか頑張ってチャリティー展をしようと思いました。
その私の気持ちに、つきあい、答えてたくさんの作家さんが作品を提供してくれました。
そのなかのひとつがこの飯碗でした。
おおぶりで縁は朝顔のように広やかで、いわいる普通の飯碗の形とは異なる雰囲気。
長尾さんの目にとまったのは偶然の出会い以外の何ものでもありません。
私がうっすらと感じていたその魅力に、長尾さんは光をあてました。
食べもののことを四六時中、真剣に考える方はさすがです。
ひろがるイメージの広さと深さが違います。
この飯碗は幸運でしたよね。
考えるきっかけは少し違っても、私も飯碗に到達するまでのことを考えつづけていました。
私は米から考え始めていたのです。
震災がある前から米のことを気にかけていました。
気にかけるというと、ちょっと思慮深そうですが、実は「こんな美味しい日本のお米を将来食べれなくなっちゃたらどうしよう」
という心配。
減反、後継者不足、値崩れ、挙句はTPPと、日本の米は窮地に立たされています。
そこに震災がやってきました。
仙台空港に向かう田んぼの中の道。
右側にはいつのまにやら水がたたえられ、稲がならんで風にたなびいています。
しかしその左側。
波が来た田んぼは土色で、そこににあってはならない木や生活雑器、車が転がっています。
田があればいつも稲が植わり、育ち、緑の絨毯ができ、稲穂が首をもたげ、黄金色に輝き、新米が食卓に登場する。
この、季節のうつろいと同じように自然なことが、あっというまに出来なくなる現実。
そして、もしかしたら、これから将来、自然災害ではなく私たち日本人自らその道を進もうとする現実。
不安で不安で寂しくて怖くて。
日本が日本じゃなくなってしまうような。
どうしよう・・・。
米を食べよう!どんどんたべよう!おいしくおいしく日本の米を食べよう!
いろんな方法があるけど、私たちが出来ること、それも楽しくおいしくできることは米を食らうこと。
その盛り上げ役には、いい食器!いい飯碗!!
ざっとこんなことです。
今年の夏は田んぼが美しくみえてしょうがありませんでした。
いつもより蒼かったように見えました。
そういえば今年の桜はいつもより綺麗に見えた・・・
もしかしたら今年の花火も殊に綺麗に見えたんじゃないかしら。
心は見え方を変える?
私が見る田んぼにいつも人はいません。
でも田んぼはいつも綺麗があたりまえでした。
でもいつも誰かが田んぼを育てていてくれる。
農家は田んぼがあれば稲を植える。育てる。米をつくる。
ありがたくてありがたくて。
私は何もせずに美味しいお米を腹いっぱいいただける。
ありがたくてありがたくて。
農家の方ありがとうございます。
今年も日本のお米を美味しくいただきます。
■例年通り、年末には宮城の稲穂でつくった注連飾りなどお正月準備にまつわる展示 ‘お正月’を開催します。
■1雑誌'ku:nel'(9月21日発売)116ページ,長尾智子さんの記事で紹介された唐津の中里太亀さんの飯碗は、
形を同じく、色を変えて制作していただき、11月中旬展示会でお披露目しました。
杜間道 みわみちこ
中里太亀さんのHP 長尾智子さんのHP 4月のチャリティー展 昨年のお正月展
ギャラリー杜間道トップページへ戻る
小寶 杜間道のおまけ話 -太亀さんの飯碗-